書評
『旬刊経理情報』2023年6月10日号 の書評欄(「inほんmation」・評者: 藤村 武宏 氏)に『実践 人的資本経営 』( 小方 信幸 〔編著〕 )を掲載しました。
まもなく2023年3月期の有価証券報告書が提出期限を迎える。今年の有報で注目されるのは、義務化された人的資本や多様性に関する取組みの開示である。ESG投資の潮流のもと、「人材版伊藤レポート」や「人的資本可視化指針」等が公表され、人的資本に注目が集まるなか、いよいよ開示の義務化を迎えた。人的資本に関する取組みを強化することが日本企業にとっても文字どおり〝待ったなし〟となっている。
私は長年サステナビリティ分野に携わってきたが、外部環境に押されて行われる企業の新たな取組みは、時として場当たり的、受動的、マニュアル的なものとなる懸念がある。サステナビリティに関する取組みを、自社にとっての必要性、特に企業価値向上との連関性を踏まえずに強化しても、それは本質的なものとならないばかりか、投資家の評価も受けられず、結果として外部要請への対応としても不十分なものとなるおそれがある。開示の義務化によって開示情報の画一化、対応のマニュアル化を招き、開示のための取組強化といった現象も懸念される。
逆説的ではあるが、人的資本も含めてサステナビリティの外部要請が高まれば高まるほど、企業にとっての本質的な意義が見失われがちだといっても過言ではない。その人的資本強化策がなぜ自社の価値向上につながるのか、という本質をしっかりと踏まえることが極めて重要である。
本書は、単なる人材管理の観点を超えて、企業価値向上、そして企業戦略といった視点から人的資本や多様性を捉え、人的資本経営の本質を説いている。執筆者陣は、企業実務のご経験も豊富な小方信幸教授が編著者となり、機関投資家、サステナビリティ関連の実務家、コンサルタント、研究者といったさまざまな立場より第一線で活躍されている方々から構成されている。豊富な先進事例や深い研究成果を交え、企業価値向上の観点から説明する人的資本経営論は、実践的な企業戦略論となっており、企業経営者、実務家が、単なる流行や外部要請への対応としてではなく、より有意義な人的資本経営を実践するための必読の内容といえよう。
伝統的に日本企業は従業員を大事にしてきた。しかし、昨今のサステナビリティ経営における人的資本経営の重要性の高まりは、日本企業に新たな課題を与えている。グローバル化やデジタル化の進展に伴い、企業競争力に大きな影響を与える要因として人材の多様性の重要性が増している。また、労働力人口の低下がさらに深刻な問題となっていく日本社会において、より優秀な人材をどう獲得し、これら人材が活き活きと活躍できる環境を整えることができるかが、企業の成長を左右する時代を迎えている。
多くの企業経営者や実務家が本書を参考とし、外部要請対応ではなく、企業戦略として人的資本経営を実践し、もって従業員を重要なステークホルダーとして位置づけてきた日本企業の真価を世界に証明することを期待している。
藤村 武宏(三菱商事(株) 執行役員 監査部長)
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